まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

ひかり


だいすきな写真を撮るひとの写真が
どうしてすきなのかなあと考えて
そうか、写真って
ものごとの形もあるけれどなにより
目とちがうのはひかりだ
とおもって
写真は光なんだねえ
といったら
陰だよ
といわれた。
うわあ
うわわわーーー。


ぞくりとすることばを放たれた瞬間を
ずっとわすれずにいられたらいいのになあ。



先をゆくひとは
いろんなことが見えるのだ。
それでも今それをはじめたひとには
わかっていてもそのまま
まちがいをやる必要があるのだ。

よくおもう。
そのときはまちがいのような
まわりみちのようなものなんだけれど
大きくみたらそれはなんにもまちがいじゃないのだ
失敗は成功の母
とか
よく言ったものだとおもう。


それでも年若いひとたちに
一緒にやろうぜ
といえるのはそのひとのつよさだ
つよさはやさしさだ。
覚悟をきめるまでのあいだ
いろんなことがあればいい。
覚悟をきめるまで というのも
あとから見たらそうだった
ということなのだろうし。


そんな話をしているあいだ
うしろでずっと音楽をかけてくれていたひとがいた
きっとそのひとの覚悟はずっと前に決まっていて
何気ないようすでもくもくと
関係ないみたいにやっていたその行為が
そっと背中を押しているようだった。
そこに光をみていたようで。