まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

海よ、おれの海よ

 っていう加山さんのうたの広さといったらない。

 全部説明することはできないのだけれど、お家を建てていたひとが、ついに今日入居とあいなった。わたしはその話を途中から聞き続けていたのだけれど、じゅうぶん思い入れができはじめていたので、ひとごとながらとてもうれしい。うれしいというかわくわくする。家族四人のお城。じまんの自転車の部屋もある。ウッドデッキも。というパーツだったり完成度はほんとうは問題ではなくて、そこに過ごしてゆく時間がどんどんのっかってお家になっていく。ということをじゅうじゅうわかっているのだけれど、ことばのうえでは、おうち完成しましたか?という質問になったりするのだ。ほんとうは聞きたいことはそれじゃなくて、もうちょっと違うなにかなのだけれども、でもことばにするとそうなる。ということはある。
 わたしが住んでいるのはもちろん借家なのだけど、引っ越してみて2ヶ月、ときどきものすごーくさびしいなあ、とおもうときがある。前とおなじように、あちこちへでかけて、毎日誰かと話しているし、そういう意味ではなにもかわっていないのに。なにがちがうだろう、とおもうと、やっぱり海なのではないかしら。べつに海にしょっちゅう行くでもなかったけれど、そこにあるだけで濃厚な気配。あれがなくなったことに、移動してみて気づいて、わけもないさびしさはそこにあるのじゃないかって。波乗りするでもなく、どころか泳げもしないわたしにここまでおもわせる海のなにかよ。

 とかなんとか考えていたら、先日ピン芸人ハットリさんという方が、さかながだいすきです!というせりふのあとに、海というか魚を題材に替え歌をするネタをやってらして、それに感銘をうけたのです。サビのたびにたたみかけるあの感じが、まさにサビという感じで、ポップなうたというものの枠組みをするどく切り取っているなあって。あっ家も海も魚も関係なくなってしまった。でもポップさって、枠組みがあることでそう感じるのかも、と思い始めている今日このごろ。まとまっていないけれどおしまい。