まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

とべそう

 今の家は、前に住んでいたところにくらべるとずいぶんふつうで、ちょっと古いだけのアパート。七輪ができないのがさびしい。でも気に入っているのは、隣の家も下の家のひともみんなうたがすきらしくて、あちこちからはなうたが聴こえてくるところ。窓が広くて、あたたかくなってからはずっと開けっ放しにしていると、いろんな花のにおいがするところ。近所にはバラ園さながらの家があって、アプローチから縁側あたりまで、ものすごい薔薇だらけ。少し前が満開で、そばをとおるたびにむんとにおいがして、わたしは通るたびにrose gardenをくちずさんだ。手入れよく、色香よく。そのとおりの庭だ。


 スミちゃんという、女性によく会う。御年75歳。おばあちゃん、という歳だけれど、およそおばあちゃんという風情ではなくて、いつもおしゃれをしてでかけ、ちゃきちゃきと若者に混じってたのしそうにしている。最近では胸元に牡丹のタトゥを入れ始め、みんなをおどろかせたけれど、これがおわったら足首に唐草模様を入れるのよーとうきうきしている。それがとてもよく似合っていて、ただもんではないなーとおもう。ダンスがすきで、つい最近は山のレイブパーティーにヒールで到着したり、海辺のディスコイベントで朝まで踊っていたりした。ただもんではないなーとおもう。
 このあいだスミちゃんがしていたピアスがとてもかわいくて、いつものとおりにかわいいねーと褒めたら、じゃあ一個あげる、これかたっぽだけつけるのがいいのよ。とスミちゃんが言った。そんなつもりじゃなかったけれど、ありがたくいただいた。とても気に入っている。すると、またピアス買ったら片方ずつあげるわーと言う。うんうん、そんときはねー。と軽くうなずいたら、次の日にもう新しいピアスを買って、わたしのことを待ってくれていた。うれしいけど、そんなんじゃなくていいのに。という気持ちが一瞬よぎって、スミちゃんになんだかへんなことを言った。しまった、そうじゃなくて、ただありがとうって言えばよかったんだ。問題はものをもらう、あげる、ということでは、ほんとうはない。それで一瞬にしてずーんと落ち込んでしまって、だまってあれこれ考え込んでいたら、それがばれていたのか、わざとなのかたまたまなのか、直後店主にちょっとへんてこなことをされて、おもしろくて落ち込んでいられなくなってしまった。はかりしれないひとである。でもそのおかげでなんとか、へんなかんじにならずにすんだ。たすかった。
 このときスミちゃんに感じた気持ちは、じぶんのおばあちゃんに対するやつに似ていた。本人におばあちゃん然としたところはそんなにないのに、もう、わたしにとっての存在感がたぶんそんなかんじなのだ。そばにいたばあちゃんは6歳のときに亡くなって、それまでずっと一緒にいたというのにもはや記憶もおぼろげだけれど、ちょっとずつ似ている気がして、だからこそなんだかスミちゃんとごっちゃになってしまう。
 スミちゃんはそのあとも、今日はもうひとりにパンツをプレゼントするといって、ずっとそこにすわっていた。そのひとがやってくると、パンツあげる!とおもむろにそれを渡した。そのひとは、ありがとうーー、いま履いてこよっか?と超軽い調子で言っていて、これだこれだよ、とわたしはふかくうなずいた。問題はものをもらう、あげる、ということではないのだ。また会いに行こう。