まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

ノーブラ

 昨日今日ですっかりスウェーデンのことが気になっている。スウェーデン人を50人くらいみたら、おばさんはみんなカラフルでにこにこ可愛くて、おじさんはみんなでっかくて髭づらでおちゃめ。こどもたちはシャイ。というすべてがたまたまかもしれないけれど、それでもすきだなあとおもう。いきなりスウェーデン行きたい。ミッドサマーというやつにちなんで、水色と黄色の国旗をいちごにさして食べていた。国旗までもカラフル。あまりに漠然としたおおっぴらな好意をスウェーデン人に抱いたわたしは、でたらめな英語でやたらと話しかけた。みんなにこにこと聞いていた。
 それでスウェーデンの女性はノーブラのひとがおおくて、それすらもたまたまかもしれないけれど、とにかくへええとおもっていたら、午後まったく違う場所でノーブラの女性をおいかけた話を聞かされる。へええ。そのあとメロンを食べながら、どうしてメロンに生ハムをのせたのだ、そういえばマンゴーに生ハムというのもある、というのをそこで初めて知った。すると夜流し見していた10年くらい前のキャッキャした映画の、最初のシーンでいきなり生ハムマンゴーを食べていた。今日はなんという日なのだ。めぐりあわせがあまりにもささやか。

 どこかへ買い付けに行って、それを売っているというひとたちがこれまで、周囲に少なからずいる。そのひとたちのことを、ずっと不思議におもっていた。買ってくるってことは、気に入っているということで、カタログを見て売れるだろうものを選ぶような通常の仕入れとはちょっとニュアンスが違うようにおもう。宝の山に分け入ってみつけてきたよろこび。それは自分のものにしたくはならないのだろうか。あみもの屋をスタートさせる日がきまって、ちかごろは自分でも、知っているだれかでもないだれかのためのものを編んでいる。気に入ったものができると自分で使いたい。でもそうじゃないのだ。これってちょっと似た気持ちなのかなあ。いつ旅立つかわからないものだけれど、気に入ったものであってほしい。かたちあるものを売るのって、音楽とおなじようで全然ちがうなあ。

 明日というか今日はあしのなかゆびひさびさのライブ。あしのなかゆびはいつだってひさびさだ。一時期すんごく聴いていたflex lifeとたいばん。変わってゆくうたを聴き続けみまもることは、わたしがとてもたいせつにしていることです。