まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

ゲンゴロン

 昨日はなぜかことばについてしみじみと考える日だった。おおむねそれは方言についてのことで、そもそも訛りとはなんぞや。最初は「行きし」「帰りし」だった。なんだかとても耳に残ることばで、それ自然に使えたらいいなあ。と言ったら、身近なひとが京都出身だからうつった、とそのひとは言った。自分の辞書らしきものにないことばを聞くとあこがれる。まえに「ないし」ということばを日常的に使うひとがいて、それは文章の中だけで出てくるものとおもっていたからびっくりしたけれど、結局いつまでも自分で使えるようにはならなかった。さびしい。
 次はドラゴンボールだった。目の前のポスターにドラゴンボールの何かがあって、それを見ながら、そういえばわたし、ピッコロがいいひとになるタイミングをいつも見逃すんだけど、どうしてあのひと味方になるの?となんとはなしに聞いた。何回も再放送しているのに、なぜか気が付くとピッコロが味方になっている、すごく戦っていたはずなのに。という長年の疑問をなんとなく聞いてみたのだけれど、聞いた相手が話をものすごく詳細におぼえていたことにまずびっくり。そしてそれが、全部大阪弁で語られるので、登場人物が全員関西人になってしまうのだった。「ドラゴンボール?なんそれええやん。」「悟飯、たのしかったでー!」
 いやいやいや!と聞いていた関東人ふたりはおもい、笑いをこらえきれない。この調子でずいぶん長いこと説明はつづいた。悟空もピッコロもナッパすらも関西人。とてもすばらしい説明だった、すっかり疑問はとけたのだけれど、ついつい話題は訛りについて横すべり。そもそも、関西弁ってけっこう聞き慣れていることばだとおもうのだけれど、細かいところになってくるとわりとだいたいで聞いている。同じ単語で違う意味だったりすると、言う方と聞く方で違う話になっていることだってたぶんある。ニュアンスになってくるともう、ほんとうによくわからない。けど気づかない。でも関東人ふたりの共通認識は、関西弁だとなんかおもしろいこと言っているようにきこえる、というところ。もともと関西弁で語られているなにかを再現するのに、関東のことばでしゃべったりしない気がする。可能な限り関西弁を真似るだろう。関西弁に限らず、自分ひとり川崎ことばをしゃべっていると、内容よりも単純に音がカクカクしてつまらないなーとよくおもう。なんだろうこの感じ。
 それで東京に住む関西人夫妻のこどもは何語になるのだろう、と聞いてみると、家の中では完全に関西弁だったけれど、幼稚園小学校と、社会に出たらどんどん訛りが抜けていっている、という。おもえばわたしも、両親が西のひとで、たぶん子供の頃くらいは親たちもまだ訛っていて、わたしもそうだったのだろうけど、小学校のときにしょっちゅう、それちがうよーと言われ、なんとなく傷つきながら直した記憶がぼんやりある。いまさらなんだかもったいないなあ。