まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

サンドイッチとエスプレッソとにんげんと

 いまもうれつにサンドイッチにはまっている。じぶんのブームはたいてい、いつも同じようなコースをたどってやってくる。ちかい誰かが、わたしのあまりに気にしていなかったなにかを最近気にしていると聞く。そのことばがわたしも気になる。気にしだすと、ちょっと関係するなにかがちょくちょく目の前に登場したのちに、あるときあからさまにごーんとわたしの前に出現する。偶然に衝撃をうけたわたしはどどどとそちらに傾く。それで言いふらしてみると、まわりに一家言もっているひとが意外とたくさんいてたのしい。という具合。もうれつないきおいではまったあとは、だんだん落ち着いていって、細く長いブームとして残り続ける。いきおいがあるあいだに本を買って読んだり、必要な道具をどんと揃えたりする。とてもたのしい。刃渡りの長い包丁がほしい。


 このところちょくちょく、人間と地球についての話になる。というとあまりにでかい話題のようになるけれど、ひとつひとつはたとえば栗をながめながらなんでとげとげに入ってるんだろうとか、シーラカンスの脳みその大きさがそれはもうちっちゃいとか、カモノハシかわいいとか、端的なことなのだ。でもそこに人間がからんでくると、というか、人間はそういう輪に全然入れていないなあみたいなことについ話がむいてゆく。細かいことをここに書き出すことはできないのだけれど、あらゆるこういう話について、うーん人間はとくにそこに必要ではないなあ、となる。でも人間はそこに入り込んでいっていて、考えてゆくとだいたい人間の都合の良いように絡んでいるだけなのだった。

 たぶん人間のさがとして、なにごとも「よく」してゆきたいという願望がある。ひとつずつは小さなことでも、人数がふえたらそれだけいろんな種類の正義というか良さがある。だれかの良さが、だれかのかなしみになることもたぶんある。昔とんかつ屋の大将が、毎日毎日とんかつのことばかり考えているという話に感銘をうけたけれど、どんなことにもそういうのがあって、日々そのことばっかり考えているひとは、そうじゃないひととはまったく違う、独自の道をどうしたって見出してしまう。エスカレートするっていうのか、これができたらつぎはもっと、というのは、人間のとてもすなおな向きという気がする。
 というような近頃すこしずつ考えていたあれこれが、エスプレッソを淹れているひとを眺めているうちにすんなりと輪になった。わたしの知っているエスプレッソ像とは全然ちがうのだけれど、かおりがぐんと濃くて、とてもおいしかった。ほんとうのところはさておき、そこに勇気というか決意を勝手にかんじている。みちはつづくよ。