まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

いろはとあいうえお

 あたらしく作っている曲の一部が、どうしても「えひもせす」という歌詞になってしまって、一回このゾーンに入るともうほかのことばにかえるのがむずかしい。自分の曲なんだから歌詞なんてなんでも良いのだけど、これ以上しっくりくることはもうないのだろうとおもう。だいたいえひもせすってなんだ。いろは以上の意味がないじゃないか。

 ほかにどうにかならないものかといろいろ考えているうちに、そもそもいろは順のことについて思考が持って行かれる。このやりかたって、順番自体にたぶん意味はないのだろうけど、一音を母音と子音にわけて考えていないってことなのだ。「と」は「と」以外のなにものでもなく、tとoの組み合わせではない。あいうえお順は、よくできた分類方法だとはおもうけど、日本語のうえで「は」も「や」もほんとうは独立した一音で、「あ」の列の仲間とかではないとおもうのだ。それはむかし英語のうたをうたうときによく感じていたことで、英語のうたは子音が重なったりできてアクセントが多彩だから、なんてことないメロディもなにかとリズムがつく。日本語だとそうはいかない。いっこいっこの音を便宜上ばらして考えることはできても、発音の上ではどうしても一音にしかならない。フォークミュージックを日本語に持ち込んだ世代のひとたちは、その発音上再現不能な部分を、それでもどうしてもやりたくて、ことばを余ってメロディに乗せる(乗せない)ことで表現したのかなあなんて想像する。
 というようなあれこれに思いをめぐらせていると、いろは順の妙なかたくなさはなんだかいとおしくて、歌詞もえひもせすでいいのかも、と思えなくもないけど、やっぱりなんだかなあ。(文責・オカザキエミ)