まいにちウクレレ

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日記のたのしみ

遠征したりしていろいろ書きたいことがたまっているのですが、たまっているがゆえに書けないという矛盾。そんななか本家webのほうだけは気合で更新しました。日記もスケジュールも追いついたぞー!

http://hatomugyu.net ミテネ

ところで本題はそこではないのです
こんなにためこんでいる人間がいうことではないのだけれど、それは棚の上にあげて、日記の醍醐味というかたのしみは「毎日書く」ということにこそあるのです。と声を大にしていいたい。 この9年、毎日書いている(ときのほうが多い)わたしがいうのだからきっと間違いない。日本人の多くのひとはおそらく、日記というと夏休みのやつがぱっとおもいうかんで、30日くらいに苦しまぎれにまとめて書く思い出がよみがえってくるのだとおもうけれど、ためているからくるしい。わたしもいまくるしかった。
しかし一日をふりかえってかくぶんには、日記はとてもたのしいのだ。今日会ったひとや、交わしたことば、ふと思い浮かんだこととか、おもいだしたこと、嗅いだにおいやたべたものや、すんごーく細かいことにこそ価値がある、とわたしはおもう。それはあとから書こうとしてもなかなか出てこない。やったことをなぞるだけの日記は書いてもあんまりたのしくないのです。
それで、小学生の日記は、ちゃんと書けるひとももちろんいるだろうけど、あれくらいのころはまだ日記のたのしみなんていらないのだとおもう。そういうの抜きにたのしいことが大量にあって、そのときどきをからだをうごかしてたのしむのを最優先で、なにもわるいことはない。そんなのあとまわしになってあたりまえ、とおもう。あの夏休みの日記というやつは、ものごとをためるとこわいよ、計画的にやるんだよということを身をもってわからせるためだけに存在しているのではないかとすら思う。でもそれによって日記の魅力に影をおとしているような。もったいないなあ。
かくいうわたしも、もれなく毎年まとめて書いていた。そして日記なんてかくひとはひまじんだと10代のころはおもっていた。いまはぱっと思いついたことをそのときに書いて、アップする、みたいなシステムがたくさんあるから、それはそのたのしみがほんとうにあるとおもうけれど、毎日書くからこそのたのしさは、それとは全然べつのものだ、ということを、なんでつらつらと書いているかというと、最近みんなが手持ちのブログをあんまり更新しなくて、おもしろい文章を書くひとはたくさんいるのに、とても残念だなあとおもうからです。言ったからにはわたしもなるべく毎日書くぞーえいえいおー。