まいにちウクレレ

うたとウクレレ、コンサーティーナ moqmoqオカザキエミ うたいます うたいます

口伝

 口伝 ということばを初めて体感したのは、小学生のときだった。あれ、中学生だった気もする。こども会のおじさんが太鼓をおしえていて、音楽のすきなわたしはぬるっとそこにまじり、和太鼓を叩いた。曲には譜面がなくて、ピアノあがりのわたしにはとても新鮮だった。皮をたたくのと、ふちをたたくのと、バチ同士を合わせるのを、どん、かっ というふたことであらわす。どん、かっ、と言いながら呪文のように曲を覚えた。
 アイルランド音楽も、また口伝というのか、伝承音楽。メロディがあるから、いちおう譜面に起こしてもあるけれど、何千という曲をみんな耳でおぼえていく。セッションの場でいちばん弾きっぱなしなのはたいていおじいちゃん。若い演奏者は(かならずしも歳のせいだけではないけれど)わからない曲になるとみんな聴いていて、覚えながら参加。おじいちゃんたちは覚えている数が段違いなので、とにかくずっと弾いている。わたしは小さい頃から譜面譜面でやってきていたので、これがほんとうに苦手だった。音はすぐわかるけれど、覚えられない。あたまのなかに、音符がならんでしまううちに、間に合わない、そんなかんじ。これはいまだにそうで、結局たくさんこなしてからだで覚えるしかない。くやしい。


 コーヒーを飲んでいるだけでも日々けっこういろんなことが起きる。ぼんやりコーヒーを飲んでいた夕方、元気なおっちゃんが通りがかり、謎の英語まじりで近づいてきた。コーヒーを買って、おいしいと言うまでのあいだに、すでにものすごくたくさんしゃべっていた。うたってもいた。置いてあった島バナナを見て、おっバナナだ、かわいい魚雷と一緒に積んだ 青いバナナも黄色く熟れた〜 とうたいはじめたうたがなんだか可愛くて、これ潜水艦のうたなんだ、といううんちくをさえぎって、覚えたいからもういっかいうたってくださーいと頼むと、せきばらいしてもういちどうたってくれた。軍歌というか、兵士を鼓舞するうたで、潜水艦のうたらしい。潜水艦というのも、たまにある場所で潜水艦乗りのひとに会うので気になって、これはうたいたい、とおもった。このご時世に軍歌っていうのも、なんだかあれなんだけれども、こうやってばったり会ったひとに、出会い頭につきつけられたうたに感銘をうけるのも、なにかの縁だとおもうのだ。
 おっちゃんは頭の回転がはやくて、うたもあれこれ十曲くらいうたったし、だじゃれやおやじぎゃぐを交えつつ、あいまにいろんなことをしゃべっていた。まわりにいる我々は、たまに気になるポイントがあると聞き返し、するとおっちゃんは話に急ブレーキをかけてこっちをふりむく。20分かそこらのあいだ、それを繰り返して、おっちゃんは去っていった。たまらんぜよ、ということばがそこにのこった。短い時間にものすごい量の話を浴びせられてしばし呆然。でもたっくさんしゃべるけれど、いちおうわたしたちの話も聞いてくれるところがあって、なんだかおもしろかった。

 帰り道、自転車を走らせていると、とつぜんそこに道場があることに気づいた。おっちゃんがひとしきり武道の話をしていて、いちばん熱がはいっていた居合道もそこでおしえていた。3ヶ月気づかなかったのに、目線っておもしろい。
 
 というわけで、来週から轟沈をうたいます。ウフ。