おもしろがる能力
2017年!
この数年、やることとやらないことを意思を持ってえらび、なにごともできるだけ少ないやり方で生きていこうとつとめていたけれど、ふと、そのことにあんまり意味がないようが気がしてきた。というのも、よくいく場所になかよしのじいちゃんばあちゃんが数人いるのだけど、どいつもこいつも(ごめんなさい)覚悟が決まっている。もちろんどんな年齢だって、明日のことはわからなくて、いつなにがおきて会えなくなるのか、だれもしらない。けれど彼らの覚悟の決まり方は、やっぱり長年生きている、日々の積み重ねの先にあるといつも感じる。ああだこうだといろんな話をするなかで、今のおもしろいこと、過去のおもしろいことがたくさん積みあがっている。当時苦しかったことも、ありゃたいへんだったなーって笑っている。生きてたからよかったけどよーって。そういうあれこれを聞いていると、わたしのような若造がこういうことはやめていこうとか、なにをえらぼうだとか、決意のようなものをかかげているのがまぬけにおもえてくるのだ。
そもそもなにかを始めるよりも、やめるほうがたいてい、苦痛や決心をともなうことが多いから、それによってなにかを成し遂げたような気すらしてしまうのだけれど、じっさいはおもしろいことの可能性をひとつずつ手放しているような。というか、残ったのはどうしてもしなきゃいけないことだけで、それってなんだかあたりまえすぎておもしろくない。うまくいえないけれど、そんなことを最近よくおもう。
新年っていうのは、なにかとあたらしいことが始めたくなるもので、なんでもかんでもやめようとしないっていうのを始めようとおもう。
彼らに会うようになってから、別れ際、ちゃんとばいばいしないと気がすまないようになった。彼ら自身が死の気配をまとっているわけではなくて、彼らの覚悟をいつも感じずにはいられないから。それはわりとさわやかなものなのだけど、最後会ったときどうだったっけ、となるのがいやで、かならずちょっと念入りにばいばいする。今ではそれ、老人にかぎった話じゃないなあって思うので、だれでもなるべくちゃんとばいばいしたいのだ。
追伸
「すてき」「さりげなさ」「えがお」
この数日の会話のなかでうかびあがった近頃のキーワード。
(文責・オカザキエミ)